立山~日見エリア 旧長崎街道の面影の残る坂道
坂No.11 ゆうれい坂(伊良林町)
「飴屋の幽霊」で知られる光源寺へ向かう坂
中通り八幡町から光源寺に上る折れ曲がったゆるやかな坂。
身ごもったまま亡くなった母親が墓の中で産んだ子供を育てるため幽霊となって飴屋に通い、母乳代わりに飴を与えて守ったため子供は無事に救われたという、光源寺に伝わる「飴屋の幽霊」の話がその名の由来。
最大斜度 6度 マニア度★★☆☆☆
中通りから上る途中。右側の白壁は禅林寺で、本尊である如意輪観音菩薩の像が立つ。この先突き当りを左折してさらに進むと光源寺に向かう。
中央部が石畳になっている緩やかな坂道を上って道なりに曲がると、光源寺の山門前に着く。
坂No.12 六角道(立山町)
道の真ん中に大きな御神木が並ぶ
長崎公園を通って長崎中学校へと上がる、曲がりくねった坂。
諏訪神社の鎮守の森だった場所に車道を作ったため、道路の真ん中に樹齢数百年のクスのご神木が数本あり、それをかわしながらのドライブはスリル満点。
近くにある「六角堂」という東屋からこの名がついたという。
最大斜度 10度 マニア度★★★☆☆
長崎公園の入口から曲がりくねった急坂を登るといきなり樹齢数百年の大木が7本並び立つ。そのため道幅は狭く、大型車が通れず逆車線を行かなければならない場所もある。
坂の向こう側は鬱蒼と広がる諏訪神社の鎮守の杜。その反対側は長崎市内と港が見下ろせる絶景。さらに上りきると長崎中学校へと出る。
坂No.13 長坂(上西山町)
諏訪神社の石段はおくんちの特等席
長崎の総氏神、諏訪神社の踊馬場から社殿までの73段の急な石段。
長崎くんちの際には正面に位置する長坂が特等席になり、「長坂連」と呼ばれる衆が祭りを盛り上げる。
その後本宮から御輿がこの坂を通って駆け下る「お下り」、後日には本宮に上る「お上り」も勇壮である。
最大斜度 28度(石段) マニア度★★☆☆☆
この長坂の下の石畳の部分がくんちの演し物を披露する場所となる。実際に見るとその狭さに驚くが、これだけのスペースを最大限に利用して行なうダイナミックな演技は、長く厳しい練習の賜物。
最上段から見下ろした風景。長坂の勾配の急さがよくわかるアングルだが、くんちの「お下り」の際にはこの急坂を3台の神輿が一気に駆け下りる。
坂No.14 トロトロ坂(中川町)
長崎街道の玄関口、名前通りのゆる~い坂
新中川町電停近く、鳴滝川に架かるアーチ型石橋、古橋(1654年架設)から文字通りトロトロ続くなだらかな坂。
長崎開港と同時期に造られた清時代江南風の石畳が道幅の中央部に残る。
途中には地蔵堂や中川八幡神社があり、旧長崎街道の玄関口としての風情が今も残っている。
最大斜度 8度 マニア度★★★★☆
鳴滝川に架かる「古橋」。1654年唐大通事が私費を投じて架けたもので、長崎の玄関口にあたる。現在は約1mかさ上げがしてある。
坂の中ほどにある、お地蔵様と弘法大師を祀る中川町地蔵堂。長崎四国八十八ヶ所霊場のうちの77番札所。古橋と同じ頃に造られたが、最近道路拡張に伴い移築された。
坂No.15 腹切坂(宿町)
面目のために切腹した武士を弔う坂
旧長崎街道の宿町付近にあったが、今は国道沿いに石碑が残る。
由来には細川藩の家臣がこの地で農民に棒術で敗北、武士の面目と切腹したことからという説と、フェートン号事件が起こった時、警備担当であった佐賀藩士16人が責任をとってこの坂で自刃したからという二説あり。
最大斜度 11度 マニア度★★★☆☆
腹切坂の石碑のある国道34号線の向かいから旧長崎街道へと上る坂がある。この坂の先に今の場所に移される前の石碑がかつてあった場所がある。
しかし左の写真の坂を上りきると道はなくなり、けもの道だけになる。この写真の中のどこかに本当の腹切坂があったはずなのだが…。